目に見えない世界の話

責めないで…自殺は心の病気、寿命は生まれる前から決まっている

こんにちは!チャネリングカウンセラー里緒と申します🌸高次元と繋がり相手の気持ちや性質、状況、使命や前世を読み解きます。的中率に定評あり。あなたの気持ちに優しく寄り添いながらお悩み解決へと導きます。
目に見えない世界の話
チャネリングカウンセラー里緒

ささやかながら私もtwitterをやっておりますが、自死を選ぶ方、そのご家族のツイートがよく流れてきます。

その苦しみ悲しみに、胸が痛くなります。

私自身、25歳の時に幼稚園からの幼馴染を自死で失っており、同級生のお姉さんや娘の学校の先輩が中学生で自死を選ぶなど、決して遠い世界のお話ではありません。

ご遺族の方、親しくしていた方は、ご自分を責めてしまうことがあると思います。

あの時、こうしていたら・・・

もっと話を聞けてたら・・・一緒にいたなら・・・

片時も離れずに見張っていればよかった・・・

どうしてあんなことを言ってしまったんだろう。。

本当に皆さん同じような後悔を持ち、自分を責めてしまいます。

理由が分からない場合もあったりして、非常に胸が苦しいと思います。

センシティブな話題ですので、気分を害される方がいたら申し訳ないです。ここから先は、嫌だな、と感じたらすぐに画面を閉じてください。

スピリチュアルの世界のお話をさせていただくと、寿命というのは生まれる前に自分で決めてきます。

私たちがこの世に生を受けたのは、魂の学び、魂の成長が目的です。

前世や過去世で遂げられなかったことや前世・過去世で生じた課題を含め、今世では何をして魂の学びを得るのか、どんな体験をして魂を成長させるのかを決めて、「じゃあ地球のこの時代のこの場所に、こんな性格で、こんな特技を持って、この両親のもとに生まれよう」と生まれてきているんですね。

実はこの時にすでに、結婚をするしない、誰々と出会う、この人と恋に落ちる、とかも決めています。

それはあくまでも全て“今世での魂の学び“が目的です。結婚をする(しない)のが良い悪いという観念は宇宙にはありません。

そして、寿命も決めています。もちろん、結婚や恋愛と同じように変わることもありますし、数年単位でズレることはあります。でも大まかには決まっているのです。

それは自死であっても同じ。病気や事故と同じなんです。

何度死のうとしても死ねない人、偶然が重なって助かる人もいます。もちろん偶然ではありません。それは「まだあなたの寿命じゃないですよ」ということなんです。

人間には、自分で命を絶つことはできない【生存本能】がプログラミングされています。

ですから自死はそのプログラムが故障した、機能しなくなった、ということです。そう、病名はつかないかもしれませんが病なのです。(いずれチャクラやエネルギーの状態を診察できるようになれば病名がつくかもしれませんね)

じゃあ昔の人が切腹など意思を持って命を絶つのは病気なのか?と言われますと、いくら本能といえど、意思が勝ることがあります。あまりに思考に支配されてしまうと魂の声も届きませんので、強い意志による行動を誰にも止めることはできません。

上にも書きましたが、寿命は数年単位でズレることはあります。つまりこれも寿命なのです。

だから、どうかどうか、遺された方は自分を責めないでください。

どうしようもなかったんです。誰にも止められないことだったんです。

本人が、魂レベルで決めてきた寿命だったんです。

それでもせめて自死じゃなければ良かったと思うかもしれません。

ですがそうなければ、他の形でこの世を去っていたかもしれません。不謹慎かもしれませんが、事故や犯罪に巻き込まれることだってあります。

それから、あなたがその方と会えたのは偶然ではありません。

お互いの魂が、今世で出会い、縁を結ぶことを決めてきたのです。この広い宇宙で、同じ時代にあなたと出会えたこと、あなたと同じ時を過ごしたことは紛れもなく互いにとって必要なことで、今世で体験すべき事の一つだったのです。

だから、「ありがとう」です。

生まれてきてくれてありがとう、出会えてありがとう。

そうするとお空の向こうにいる魂の癒しが始まります。あなたの想いは次元を超えて届き、亡くなった方は次の人生の旅支度を始めることができます。

気持ちの整理がつかず、つらい日々を過ごしている方もいらっしゃることと思いますが、あなたが自分を責めてしまっていては、亡くなった方の想いがいつまでもそこに留まってしまいます。離れられなくなってしまいます。

笑っていいんです。お腹が空いたっていいんです。お風呂に入って「あ〜気持ちいい」と感じてもいいんです。

あなたが笑うこと、美味しいものを食べること、人生を楽しむことに罪悪感を持たずに、亡くなった方の分もうんと楽しいことを経験して、自分の人生を全うしてほしいなと思います。

時間がかかるかもしれませんが。たくさんたくさん泣いて、眠れない夜を過ごすかもしれませんが・・・

どうか、あなたはあなたの人生を、誰に遠慮することなく生きてください。

この記事を読んでいるあなたはまだ生きている。ということは、あなたはまだ生きなさい、ということです。

必ず時が癒してくれます。記憶が薄れてしまってもいいし、忘れられなくてもいい。正解なんてありませんので、絶対に自分を責めずにあるがままに身を委ねながら、一緒に人生を全うしていきましょう。

コメント

  1. やぎ より:

    はじめまして
    さっき偶然このブログに辿りつきました。自死は魂の世界では「してはいけない事、その場に(真っ暗な)にかなり長い期間佇む事、魂のグループに迷惑をかける事」など、NG行為だとよく書いてあるので、そうだと思っていました。でも正解(そもそも正解とは何なのか)と信じていた事は1つ向こうの扉では、また違う見解があるんですね。
    会話をした事がある人が2人自死を選びましたが
    暗闇で苦しんで無いんだと思うと安心出来ました。
    それと同時に自死に対するハードルが下がりました。
    残された家族が悲しむから、その道には進みませんが…
    朝からすみません、ただ誰かとこんな話をしたくても
    相手が居ないので、エネルギーを持て余している気がします。
    他の方と違う見方が新鮮で嬉しかったのでコメントしました。

    • ブログを読んでいただきありがとうございます^^
      誤解のないようお伝えさせていただきたいのですが、自死はNGです。寿命はあくまでも死のタイミングであり、タイミングが重なってしまっただけ、ということです。そうでなければ何らかの形で自死を妨げられたり死にかけても助かったりします。自死によって生の全うや享受を断つことは魂の望みや目的に反します。ですから、それを選んだ方々は地球での表現で言うと死後は過酷な状態に陥ります。その状態を少しでも軽くするには、遺された方々の高い波動、エネルギーです。可哀想…ではなく感謝や愛のエネルギーを送ってあげると、亡くなった方の魂は次の人生へ進めるようになります。今回の記事では結果的に自死を選んでしまった場合は、心の病気だからご遺族の方は責めないでね、ということをお伝えしたく、自死を選んでも問題ない、ということではないので誤解させてしまいましたら申し訳ありません。コメントありがとうございました^^

      • いち より:

        余命宣告がない治療困難な病気、難治性精神疾患、薬の副作用でモガキ苦しんだ結果の自死も過酷な状態に苛まれてしまうのでしょうか?病気で苦しみ、亡くなる時も苦しみ、さらにあの世でも過酷な目に遭うとは情け無用です。これは安楽死や尊厳死も同じと言う事にもなり得ます。

        • その方が決めてきた人生の課題に真摯に向き合い、命の灯火が尽きるまでやり切った場合は当てはまらない場合もあります。安楽死や尊厳死を否定するわけでは決してありませんが、魂からすると、例えば下を誰かにお世話してもらわないと生きられない、食事を口に運んでもらわないと食べられない、という場合でもどうしてそれが人間の尊厳を否定することになるの?ということです。他の人の助けを借りること、助けや愛を受け入れること、助け合うことも学びであり、その時になって初めて生きていることに喜びを覚える、他人に感謝の気持ちが芽生えるという人もいます。安楽死や尊厳死が魂の望みとは限らない、ということです。治療困難な病気も同じです。その病気という体験を通して、魂の学びがあります。病院に見放された方でも医療ではないアプローチをして回復される方もいますし、共存という道を選び、新しい考え方、生き方を見つける方もいます。それが他の人の希望となるような活動している方もいます。また地球の表現で言うと過酷な目に状態に陥る、と書きましたが、向こうでは苦しいわけではありません。苦しいという感情は人間のものですので、ありません。コメントいただき、ブログをお読みいただきありがとうございます。

          • いち より:

            ご返信いただき感謝申し上げます。
            治療困難といったのは、医療のみならず、鍼灸、整体、気功、レイキ他いかなる手段をつかっても緩和すらしない状態が数年続く究極の状態です。眠れぬ程の継続する全身の(または身体の部分的な)激痛、吐き気、激しい躁うつ、希死念慮など、励ましや癒しすら通用しないケースもあり、私ならば酷だと言われるかも知れませんが、亡くなって欲しくはないものの、頑張って耐えて生きろとも言えないです。
            ただ、先生の「向こうでは苦しいわけではない」は安堵感がありました。改めて感謝申し上げます。

          • そうですよね…。私の個人的な見解になりますが、そうした究極の状態の場合は“行き切った、やり切った“という場合もあります。すでに肉体の限界を迎えているのです。その時には励ましや癒しは通用しないことも確かにありますし、それが押しつけとなってプレッシャーや罪悪感に繋がることもありますよね…。私自身は、その人の人生はその人が決めるもの、それは死のタイミングも含めて、と考えておりますので多事多難の末、例え死を選んだとしても「あぁこの人はそれを選んだんだな」と受け止めております。ちょっと表現が難しいですが、魂はそんなことくらいではその輝きや尊さを失いませんし、また生まれ変わって成長を続けていく強いものです。ですからいちさんが感じられているように、頑張って耐えて生きろ、と言う必要はないと思いますよ。酷だとも思いません。私は、それはいちさんの優しさだと感じました。また、私たちはこうした色々な経験や想いの表現、交換を通して生と死について思いを巡らせ、成長していくものだと改めて感じました。このような機会をいただき、ありがとうございます。(絵文字がなく冷たく感じましたらごめんなさい)

      • いち より:

        先生、本当にお付き合いいただきましてありがとうござます。私の本音は、様々な事にを学ぶのは賛成ですが、いつしか人類が老衰するまで元気で楽しく暮らせる地球になってほしいとねがっております。こちらのブログにめぐりあって先生の素晴らしさを実感しております。改めて感謝申し上げます。

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